【ブルガリア カザンラク】廃墟探検!!クレイジージャーニーでも取り上げられたSFの建物を巡る旅。

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ブルガリアについて


正式名称:ブルガリア共和国(ブルガリアきょうわこく)

バルカン半島に位置し、北にルーマニア、西にセルビア、マケドニア共和国、南にギリシャ、トルコと隣接し、東は黒海に面している。首都はソフィア。

*Wikipediaより抜粋

日本人は3ヶ月以内の滞在であればビザは不要。

首都ソフィアにあるアレクサンドル・ネフスキー大聖堂が有名。訪れた時には日本人観光客の団体も見かけた。物価もトルコと比べて安く、食事も美味い。

スーパーマーケットの惣菜がかなりオススメ。使用通貨はブルガリア・レフ。

やはりヨーグルトが有名で、脂肪分別に沢山の種類のヨーグルトが販売されている。ビールもめちゃくちゃ安い。1リットル100円以下。

街の人はフレンドリーという感じではなく洗練されていて都会的な雰囲気。ソフィアにある公園では小型犬から大型犬までペットショップのように沢山の種類の犬が見れる。そして、ほとんどの犬が放し飼い、賢い犬が多い。

旧ソ連の衛星国であり、ソ連時代の名残りも多い古い町並みが魅力的な国。

建物の古さや西欧とは違ったノスタルジックな東欧らしい古き良き景色が残る。物価は安いが、なんでも揃うし治安も良い。田舎はのんびり。

はじめに

(イスタンブールのオトガル・ブルガリア行きのバスに乗り換える)

トルコ最後の観光地、パムッカレを夜に出発したバスは早朝に、この旅で2回目となるイスタンブールへ到着。これ以上イスタンブールでの滞在は予定していなかった僕はオトガル(バスターミナル)でバスを下車し、その足でオトガルから出ることなく、ブルガリア行きのバスを探した。

運良く、1時間以内にブルガリアへ向けて出発するバスを発見。

バスを降りてから乗車まで1時間以内という急ぎ足でその日のうちに隣国、ブルガリアの中南部の町「ハスコヴァ」へ向かうこととなった。

無事にチケットの発券も終わり指定された番号のバス乗り場へ向かう。

ブルガリアへ向かうバスは、パムッカレからイスタンブールへ向かうバスよりも遥かに小さくサイズもグレードもダウンしていた。

国境を越えると行ってもイスタンブールからハスコヴァまでの乗車時間は昼食休憩を含めても5時間程だった。途中立ち寄ったドライブインで一体いつ出発するのか、タイミングが読めないままバスを待ち続け、運転手が食事を終えるタイミングでバスは再出発した。

出発時間が読めないので食事を取ることも出来ず、空腹なままトルコを後にする。

雨天のイスタンブールを出発したバスはブルガリアへ進む。

ブルガリアへ向かう程に空が青空になり天候が回復していく。

ブルガリアへ向かう道中、バスの車窓から見える景色は、黄色い菜の花畑と、黄緑色の大地、そしてどこまでも続く大きな青空が広がる景色だった。

バスがトルコとブルガリアの国境に差し掛かり、乗客は一度バスを降りてパスポートチェックを行う。僕以外にアジア人は1人も乗っていない。

バスに乗車している30人ほどが並ぶパスポートチェックの10人目ぐらいに並んだ僕は、前の人と同じようにパスポートをイミグレーションの係員に提示したところで事件はおきた。

今までは流れるようにチェックが終わっていたが、僕の順番になった途端に係員の手が止まり、僕は係員から列を外れるように言われ、カウンターの横で待つようにと指示を受ける。他の人は誰ひとり止まる事なくゲートを通過していく。

スキンヘッドの強面の係員の元へ、もう1人の係員がやってくる。

僕のパスポートとカウンターの下にあるPCの画面を見比べて2人は何かを話している。

特別、何も悪い事はしていないし、違法な物も持ち込んでいないが、何処の国の国境超えでもこの瞬間は非常に嫌な感じだ。しかめっ面の係員は手を口元にやり眉間にシワを寄せている。

いったい何がおこったのだろうか。

バスに乗車している全ての人が国境超えのチェックが終わったところで、後回しになっていた僕の順番が再度回ってきた。「プロブレム?」と聞く僕をチラりと見て一言も発さず再びPCに目を戻す係員。

そして、パスポートの写真と僕の顔を見比べながら「この写真はあなたなの?」と聞いてくる。パスポートの写真は有効期限から見るに8年前の写真である。

自分でいうのも何だがパスポートの写真は会社帰りに撮影した写真で背広にネクタイ姿。

おまけに髪の毛は短く切りそろえられていて、ヒゲもない。

今の僕はどうかといえば、ボサボサの髪の毛にヒゲは伸ばし放題。

インド・パキスタンですっかり日焼けし、顔の色も真っ黒。

確かに写真とは違う…。

いや違い過ぎる…。

職員が怪しむのも無理はないかも知れない。

2018年はアジア・EUでも不法移民の問題が騒がれていた時代でもあったこと、そして、おそらく…。アジア人がこの国境を通過する頻度もそう多くないだろう。ならば多少怪しまれても仕方ない。僕は改めて自分とパスポートが同一人物だと言うことを、スマートに主張した。

スキンヘッドの係員は強い眼光で僕を見つめ、僕は笑顔でお返しする。

そして無事にパスポートにスタンプが押され無事にイミグレーションを通過。

この旅、始まってから4カ国目となるブルガリアへ入国する事となった。

ハスコヴォ→カザンラクへ

(東欧らしいレトロなバスでカザンラクへ向かう)

無事に国境を越えたバスは目的地の「ハスコヴォ」という発音もロシア語っぽい街に到着。

街を見渡すと日本で良くみる、都営・県営団地のような「5階建てエレベーターなし」の団地のような建物が目立つ。

バスはハスコヴォのターミナルに到着し僕はバスを降り人生初の東欧に降り立つ。

そして茶色く変色した壁や、線路の下の壁には沢山の落書き。

通行人も僕が歩いていても決して振り向くことも無いし挨拶されることもない。

バスを降りすぐにバスターミナルの反対側にある両替商を目指す。

クレジットカードは持っているが、トルコを出国した僕の所持金は0円である。

トルコで使いきれなかったトルコの通貨「トルコリラ」をブルガリアの通貨「レフ」に両替してもらう。

アジアのような怪しい両替商ではないのでボラれる心配はなさそうだ。

というか観光客らしいい人なんて全くいない。

そもそも、この場所は観光する場所、アジア人が訪れるような場所ではなさそうだ。

トルコから先の目的地は決めておらず、「現地で面白いそうな場所へ行ってみよう。」というスタンスで目的地を決めて来たが、トルコから近いこのブルガリアの事を検索していると、偶然にも行ってみたい場所が見つかった。

その場所は、ブルガリアのカザンラクという街にある。

その名も「共産党ホール」と呼ばれる丘の上にある廃墟である。

日本のTV番組「クレイジージャーニー」に出演している写真家、 佐藤 健寿氏が訪れた場所でもあり、知る人ぞ知る場所でもあった。

トルコからEU諸国へ旅行する道中、偶然にもこの「共産党ホール」が旅のルート上にあり、立ち寄ることが叶ったのである。

この場所へ訪れる為にイスタンブールからバスに乗り、廃墟のある街カザンラクの近く、ハスコヴォへ来たのだ。

ようやく慣れたトルコ文字が、ブルガリアへ来てキリル文字に変わってしまい、バスの行き先表示もあまり良くわからない。

「カザンラク」はブルガリアの言葉で「Казанлък」と書く。

行き先の分からない僕は事前にスマホでこの「Казанлък」をコピペして現地の人に見せながら、なんとかカザンラク行きのマイクロバスに乗ることが出来た。

このカザンラクという街。

廃墟が有名な街かと思えば一番有名なのは「バラ」である。

100年以上続く「バラまつり」とアーセナル社の武器の生産工場がある街でもある。

そんなカザンラクだが実は写真がほとんどない…。

マイクロバスに乗られカザンラクで事前予約した宿へ向かう。

宿に到着すると、宿のオーナーが出迎えてくれた。

宿というよりアパートの一室という感じの小さな建物だった。

宿のオーナーに部屋に案内され、部屋の中でカザンラクを訪れた目的を訪ねられる。

「バラまつり」や「ローズオイル」が表のメインのこの街。

オーナーからも「バラ目的」なのかと尋ねられる。

僕はオーナーに対し、目的はズバリ廃墟を見に来たと伝えると、山の上にある共産党ホールまで自前の車で連れて行ってくれるという。料金は往復で2,000円ぐらいだった。

タクシーの料金とさほど変わらない事を確認し、オーナーの提案に乗り、自前の古いメルセデスで連れて行ってもらうことに決まった。

出発は翌朝の10時となった。

オーナーに、「食事をとりたい」と尋ねるとレストランなどはないのでスーパーマーケットで惣菜を買って来て食べるのが良いと言われる。

(ブルガリアのメジャーなスーパーマーケット・ビラのエコバッグ)

そして、宿のオーナーに推薦された通り、スーパーマーケットで夜の食材を買い揃える。

さすがヨーロッパ。スーパーマーケットはかなりの大きさで種類も豊富である。

そして、何より物価が安いし、食材もかなり美味しそうな物が揃っている。

とくにレストランで食事をしたいと思わないバックパッカーの僕に取って、ブルガリアのスーパーマーケットは天国のようだった。オーナーに推薦された通り販売されていた惣菜もかなり美味しかった。

(グラム単位で販売される惣菜。パスタにサラダ・炒めしとバラエティも豊富)

(2日分の食料を買っても600円程度で収まる物価安。安心して買い物が出来る)

トルコから駆け足で移動して到着したブルガリアのカザンラクという街。

トルコと比べると部屋もグレードアップした。

共用のシャワーが専用シャワーになり、部屋にはテレビも完備されていてネットのスピードも早い。料金も一泊2,000円ほど。

日本のワンルームぐらいの広さの部屋で、日本であればおしゃれな一人暮らしという設備の部屋で快適に過ごすことが出来た。

部屋に到着し、専用のシャワールームでシャワーを浴び体を流したお湯で一緒に下着も洗濯してしまう。驚く程に快適な湯量のシャワーを浴びベッドで横になって外国ドラマを見る。この旅始まってから一番、文明化している夜だったかも知れない。

カザンラクにある廃墟(Buzludzha)を見に行く。

(カザンラクの街から車で30分、タクシーなら$25ぐらいだそう。)

朝の10時。

部屋から出て外に出るとオーナーのメルセデスは洗車された後で車には沢山の水滴が付いていた。わざわざ出かける為に洗車をしてくれていたようだ。

昨日、宿に到着した時には埃をかぶっていた旧型のメルセデスが今日は新車のように光り輝いていた。

オーナーの車に乗り込みいざ、廃墟 「共産党ホール」へ向かう。

オーナーは、その道中も「バラの有名」な場所を車で行ってみないか?と提案して来たが、今の僕には「バラ」も「ローズオイル」も全く興味がないので丁重にお断りした。

車はカザンラクの町中を向けて一本道を進んでいく。

車窓からは広い草原が見え、草原には沢山の馬が放牧されていた。昨日の夜にスーパーマーケットに行く時にも3人ぐらいの子どもたちが、沢山の草を積んだ馬車に乗っていた。

小さな子どもたちが馬車に乗り、馬を操り仕事をしている姿は今までのアジアで見たソレとは違った雰囲気を持っていた。

車は街を外れ長い平坦な一本道を進んで行く。そして山を登る道に差し掛かる。

この山道を登っていき頂上に「共産党ホール」があるという。

そして上へ行けば行くほど濃霧になり、ほとんど前が見えない状態になる。

オーナーは道に慣れているのかスピードを維持しながら坂を登り続けていく。

この坂の頂上に「共産党ホール・Buzludzha」があるのだ。

(霧の中、突然現れた円盤のような建物。共産党ホールへ到着した)

10メートル先は真っ白。

ほとんど先が見えない道路を登りきったところで車は停車した。

「この先を歩いていけばBuzludzhaがあるよ…。」

運転してくれたオーナーは車の中で待っているという。

僕は濃霧と霧雨のなか石造りのエントランスを上へ向かって歩いていった。

眼の前に石の階段が現れ、その階段をさらに上にのぼっていく。

風が強く、雨も吹き付ける。迷子になったらメチャクチャ怖い…。

霧雨と風に、下を向きながら歩き、ふと上を見上げると、円盤のような建物が突然現れた。

あまりにも特徴がありすぎる建物を目の前にして思わず「ヒッ!」と声が出てしまった。

ついに目当ての「共産党ホール・Buzludzha」へ到着したのである。

(Buzludzhaの正面から・扉は侵入防止の為に鉄柵で塞がれていた)

強く風が吹き付ける中、正面に立たずんで動けなくなった。

ところどころ、霧が掛かっていて建物の全景を見ることは出来ないが、廃墟ということも相まって恐怖に近い感動があった。すごい迫力だ。

思わず写真を撮るのを忘れて見入ってしまう程の迫力だ。

気づけば風の鳴る轟音の中に人の声が聞こえる。ちょっと聞き覚えのある言葉。

そう中国語だった。そこには明るい色のウインドブレーカーを着た中国人観光客3人が楽しそうに建物の写真を撮影していた。

(正面、左側の文字。見慣れないキリル文字と廃墟は色々な想像を掻き立てる。)

雨の中、3人の中国人観光客がキャッキャ騒ぐ姿を見ながら、建物を時計まわりに回って見ることにした。すると、キャッキャしていた中国人観光客が僕の存在に気付き話し掛けてくれる。

中国人観光客でここまでフレンドリーな人たちは珍しい。

このような秘教的な場所に観光に来る人々は、ガッチリしたツアー観光客よりも敷居が低く話しやすい。彼らも同じように、この場所を観光しに来た観光客だそうだ。

ひと通り、旅人の挨拶と雑談をしたところで再び廃墟探検に出発。

(建物の周囲は落書きだらけ。東欧は町中にも落書きが多い)

(建物・左手から正面を撮影。グラフィックが上手い…。)

(裏手から塔を見上げるも濃霧で頂上を拝む事が出来ず…。)

(「警備中」というプレートも建物に貼ってあるが無人)

気になるのは「いったい中がどうなっているのか?」ということ。

正面の扉は鉄柵で閉ざされている。側面にある入口は鉄柵で塞がれてしまっている。だが実はこの建物、一つだけ内部に侵入出来る場所も存在する。

侵入口から中を覗きこむ事は出来るが中は暗い。

もしも中に入るならば懐中電灯などの明りは必須だ。

結果、中へ侵入する事は可能だが、僕は止めておくことにした。

他の中国人観光客も僕と同じく、侵入口を発見したが内部へは行かなかったようだ。

廃墟なのでガラスの破片も多く、瓦礫の山が崩れている場所もある。

万が一怪我をしても助けを呼ぶのは難しい。極めつけは不法侵入でもある。

1時間ほど、この場所で過去の遺産「共産党ホール」を見学し、車で待っているオーナーのところへ戻ることにした。

相変わらず、濃霧と霧雨で視界が悪く建物の全体像を見ることは出来なかったが、部分的に見ただけでも、かなり心に残る景色だった。

さいごに

(帰る頃には少し霧が晴れ遠目からでも建物は見えるようになった)

オーナーの待っている車の方へ戻る。

建物の芝生には沢山の馬糞が落ちているので足元には注意が必要だ。

車に戻りオーナーに「どうだった?」と聞かれ、僕は正直に「こんなにすごい建物を見たのは初めてだ!感動した!!」と伝えるとオーナーもご満悦な様子で笑っていた。

そして、来た道を完全に下りきった頃、空を見上げると、向かった時のような雲は無くなって真っ青な青空が広がっていた。

車で来た道を戻り、ホールのある山頂方面を見たが相変わらず山頂付近には厚い雲が掛かっていて下から「共産党ホール」を見ることは出来なかった。

帰りの道、僕はオーナーに「ホールへ行ったことはある?」

と尋ねると「Many Time!!」という答えが返って来た。

オーナーからは決して暗い話が出ることもなく、昔と比べて今が良いとか悪いとか…。

そういう話も聞くことは無かった。あの場所、共産党ホールが作られ、使われていた時はどんな時代だったのだろう。

そんな事を考えながら車はカザンラクの街に近づく。

そして街に近づいた頃にもう一度、共産党ホールがあった山の方を見ると、山頂付近の雲はすっかりと消えてなくなり、緑色の山の山頂には灰色のコンクリートの「共産党ホール」の姿があった。

霧の中のBuzludzha。

ブルガリアまで来て見にいった甲斐があった。

日本のお寺や観光地を見る感動の比ではないほどの驚きとワクワクがあった。

その後、無事にカザンラクの街へ戻る。

親切なオーナーにバス乗り場まで連れて行ってもらい1泊したカザンラクを後にした。

バス乗り場にはBuzludzhaの白黒の写真が飾られていた。

建物が老朽化されていない、その写真は当時の物なのだろうか。

バス乗り場でソフィアへ向かうバスを待つ間、古く使い古されたバス乗り場では親子連れのジプシー。

子供が僕の前に歩み寄り無言で右手を差し出してくる。

遠くでは小さな子どもを抱えた母親がこちらを見ていた。

僕は彼らにお金を渡さなかった。

すると、少年は無表情で僕の前から去っていった。

離れていった子供が向かった先はコーヒーの自販機。

子供はポケットから普通に小銭を出して自動販売機でコーヒーを買う。

どうやらこの子供はお金を持っているが、あわよくば自動販売機でコーヒーを買うお金を貰おうと思ったようだ。小学生ぐらいの子供は自動販売機でコーヒーのブラックを買い、大人顔負けの渋い姿で熱いブラックコーヒーをすすっていた。

その様子を半笑いで見ているとバス乗り場にバスが到着した。

カザンラクから首都のソフィアまで3時間程の道のり。

少しノスタルジックな東欧の雰囲気を感じながら小さなバンに乗り込んだ。

宿の宿泊は以下のサイトが便利!

ブッキング・ドットコム経由で下記のバナーから予約すると紹介者と利用者の双方に1,800円分のバウチャーがプレゼントされます。

これからも旅を続ける事ができるように応援よろしくおねがいします。

そして利用してくれた貴方も良い旅ができますように。

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