【ワーキングホリデー】

【AUS#02】エネルギッシュな新卒社員がポンコツマインドになるまで。

【会社帰りによく寄り道した日比谷公園】

 

 

こんにちは!
筆者のRoninRonin@ No more work)です!

 

 

【前回の記事はこちらから】

 

【AUS#01】新卒で就職した会社を退職!!正社員のキャリアを捨てワーホリへ出発!! 【姉のお古のピンク色のスーツケースと38Lのザック】 2011年 秋。 僕はオーストラリアの...

 

 

ワーキングホリデーに行くまでの自分の事を少し書いて行きたいと思う。

 

人生で最初で最後の「新卒カード」をきって就職した会社だ。

今、振り返ってみればそこは、一言でいうと「非常に古風な会社」だった。

 

従業員100人以下、堅実経営をウリにしている硬い会社だと会社説明会では紹介されていた。

僕は「堅実、ベンチャーではない。」オラオラしていない静かな会社で働きたい。

 

やりたい仕事<働きやすい会社

 

それを指標に就職活動を行っていた。

 

一代で会社を築きあげた社長をはじめ役員は全て創業メンバー。

社員の年齢層が高く平均年齢は50代以上で30代の社員は数人で20代は居なかった。

 

そして、この会社は新卒社員を採用するのも初めて。

それまでは全て中途社員の採用のみを行っていたらしい。

 

新卒採用の理由としては「社内の若返り」が理由だった。

 

入社した頃、先輩と言えば10歳以上、年齢が上の人が一番年が近い先輩だった。

初めての新卒採用ということで、僕を含めた新入社員を非常に大事に扱われていたと思う。

 

僕を含めた新入社員は5名で、入社してからすぐに外部の研修会社の研修に参加した。

研修は名刺の交換方法や、グループワーク、議題について話し合う、などだった。

 

 

この時の一番の思い出。

 

初対面のグループワークで一緒になったある女の子がいたのだが、研修が厳しかったのか彼女が研修の途中で泣き出してしまい僕らのグループが、なんだか変に目立っていた事。

そして、研修が終わり他のメンバーと社交辞令的に連絡先を交換したのだが、唯一連絡して来たのが「泣いちゃった彼女」だった。

 

おやおや?

久々に連絡が来たぞ!

 

数通のメールのやり取りの後に彼女からのメールで良く聞くあの言葉が…。

「あのね!選挙で応援してほしい…。」と言われ、その瞬間に連絡先を削除した。

 

 

そんな思い出深い研修から数ヶ月後に社長に言われたが「あの研修に一人10万以上掛かっている」と言われた。

あの研修が10万以上もするのか?会社組織は本当に大きなお金が動く物だと不思議にも思った。

 

 

自社の先輩が仕事を教えるのではなく、外部の研修期間に教えて貰うのだから社会人になって塾に行くのと同じだ。

そこまでお金を掛けてくれた社員も退職するのだから会社としても、そのリスクを含めた給与水準にしないといけないのだから経営者は大変だし、新入社員の生活もカツカツな訳だ。

 

あと、この会社で特徴的だったのが内定が決まった後、入社する前に社員旅行へも招待された。しかし、この「内定前旅行」は僕を含め、内定者の9割が断っていた。

 

お盆休みを利用して計画されたこの旅行の時期。

僕はEUへ初渡航する予定を立てていたし、他の内定者も卒業旅行を計画していた。

 

その後、経理の女性から「新幹線のチケットが無駄になった」と言われた。

 

「参加します!」

 

と言った覚えはないのだが、どうやら面接で社員旅行について聞かれ「良いですね!」

その一言が参加表明と理解されたようだった。

 

 

この事を友人に話すと「えっ?それはおかしいよ。」と言われ飲み会のネタになったものだ。そして会社に入社して、新入社員が皆悩むであろう事を同じように悩みながらも仕事に励む日々を送る。

 

 

【まだまだ当時は紙媒体が主流。ジャンプも毎週読んでいた】

 

 

営業職だった僕は、何をした訳でも無いがボチボチな成績を上げ周りにバレない程度に仕事もサボるようになった。

他社の仲良くなった 営業社員とサボり場所を共有したり、仲の良い客先にお邪魔して発売日のジャンプを一緒に読んだり。

 

時には昼間から一緒に酒を飲んだりもしていた。

 

ある、女社長の会社では良くお昼ご飯を作ってもらっていた。

そして、家族ぐるみの付き合いをしたり、今でもいい思い出だ。

 

僕の目標にする営業職は「釣りバカ日誌の浜ちゃん」だったのかも知れない。

小さい頃からこのシリーズを全て見ていたら、自分のスタイルもそうなっていた。

 

他の新卒社員には決して言えないような事をしていたが、結果そんな不良行為をしていた客先からは仕事をもらえた。

この時に「営業」という仕事の楽しい部分を知れた時期でもあった。

 

 

ちなみにカメラが本格的に趣味になったのもこの頃だったかも知れない。

僕がニコンのカメラを使いだした理由は僕が大好きだったお客さんの影響でもある。

 

 

そのお客さんは毎年アフリカのケニアに動物写真を撮影しに通う人だった。

 

いつか一緒に行きたいと2人で話をしていたが、しばらくしてその人は癌を患い入院。

その後、入院中の彼と数回連絡はしていたが疎遠になってしまった。

 

自分の親父以上に年齢が離れていたが、僕にとってお客さんの域を超えた”トモダチ”だった。

 

 

【会社帰りに東京ドームに野球観戦に行くことも多かった】

 

そんな仕事先で働いて3年目となった頃。「3年目ブルー」が訪れた。

 

その頃には大体仕事の内容が分かってきて楽しさと、つまらなさが頭の中をループ。

不満を夜の居酒屋で酒を一緒に流し込む。そんな時期に突入していた。

 

その頃になると満員電車に乗るのも何も感じなくなっていた。

あの苦痛も3年も乗っていれば何も感じなくなる。

 

それも自分の中で「やばい」と思った瞬間だった。

 

会社では毎日行われる、社長の「ありがたい話」を聞くだけの朝礼。

予定には無かった会議を終業時刻以降に思いつきで開催される残業会議。

 

もちろん残業手当はない。

 

会議が終わった瞬間に若手の社員は蜘蛛の子を散らすように帰って行く。

満足行くまで仕事の事から私的な事まで話し終えた社長は大満足そうだったのが印象的だ。

 

はっきり言って、その生活が一生続くのは耐えられないと思っていた。

 

「あぁ仕事辞めたい」

 

その頃にはただ、月曜日から金曜日まで仕事をして土日を楽しみにする。

そんなポンコツマインドの会社員が出来上がっていた。

 

そんな日々が続いた頃、僕が高校生の時に付き合っていた友人とふとした縁で再会した。

その友人は僕と同じ年齢で僕の3倍以上の収入を得ていた。

 

「俺と一緒に仕事しない?」

 

彼と遊び始め、そんな話が頻繁に出るようになった。

そして入社4年目に近づいた頃。

 

僕は会社に辞表を提出した。

 

 

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