
【会社を辞めて気分転換に訪れた長野 霧ヶ峰高原】

筆者のRonin (Ronin@ No more work)です!
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営業職に異動した僕は毎日精力的に営業活動を行っていた。
建材メーカーなので、業界&顧客が絞られていた事も助かって仕事はやりやすかった。
日々の仕事は新規の取引先の開拓、そして既存顧客のフォローだった。
会社から指示された前担当者の仕事を引き継ぐ案件もあったがこれが曲者だった。
何が曲者だったかというと…。
「やりっぱなし」でめちゃくちゃになっている取引先が複数あったのだ…。
ある日、会社から出向くように指示された取引先があった。
蓋を開けて見れば、その取引先との取引は問題だらけ。
そして、どうやらその問題を放置し続けて何年も経過。
担当する担当者は「担当すれば辞めて」の繰り返す、魔の案件だったようだ。
その案件を担当するように言われた。
本来ならばこのような難しい案件は役職者が処理するはずなのだが…。
役職者である部長はというと。
「あぁ後は頼んだよー」
という感じだった。
聞けば聞くほど、「えっ?」と思う程に信じられないものだった。
その取引先との履歴を詳細に知っている”担当者”が会社に存在して居なかったのだ。
営業職に配属され、他の社員と話をするようになり発覚した事だが、この会社には勤続5年以上の社員はごくわずか。
勤続年数が5年以上なのは部長と事務の女性、そして身内の総務担当者のみのようだった。
そして、ドサッと会社から渡された履歴の書類のみを預かり訪問。
訪問した時の相手方の担当者の第一声が「また担当変わったのかよ?」だった。
相手先の担当者から取引の書類を見せられたが、内容はシッチャカメッチャカ。
こちらが持っている資料との乖離も大きく、相手先から自社の事情を教えて貰うというなんとも情けない事になっていた。
おそらく何処の会社でも、同じ様な「触らぬ神に祟りなし」的な取引はあると思う。
しかし、その難題を新人に押し付ける会社の姿勢に疑問を感じた。
「やれ!やれ!!やれ!!!」
「気合だ!気合だ!!気合だー!!」
こりゃダメだと思った。
有能な人であれば、果敢に問題に挑み解決する事ができるのかも知れない。
しかし、僕は果敢に挑む事は出来なかった。
そもそも、挑戦する動機が生まれなかったのは5年後、10年後の自分の姿が、この会社の上司を見ていても想像出来なかったからである。

【高原で飛びだつグライダー、東京では見ない景色が新鮮だった】
そして、僕はこの会社に根を張る前に会社を退職する事にした。
ちょうど、会社に入社してから3ヶ月目。
研修期間が終わる頃タイミングだった。
仕事意外にも長続きしないのは僕の悪い癖かも知れない。
それでも自分が、この場所に一生いる姿が想像出来なかった。
そして、退職したい旨を部長を通して、総務の人間につないで貰い簡単な面談をした。
人事・総務を担当する人間も非常にドライな人間なタイプの人だった。
「そうだね。3ヶ月だし辞めるのも良いかもしれないね。」
社会人になり驚くべき事は沢山あったが、この一言が10年以上経った今も忘れられない。
“辞めた方が良いかもしれない”って会社の人から言われなんて信じられない。
ということで僕は、その話をしてから数日後には会社を退職し荷物を下げた。
確か、この翌月ぐらいにボーナス支給だったと思うが、それも「現物支給」というネタに付きない会社だった。
そして、3ヶ月の正社員期間、働いた僕は再び無職に逆戻りした。
その頃にはもう就職活動をしようと思う気にもならなかった。
今年に入ってから一体何社に履歴書を送り、何社の面接を受けただろう。
「志望動機は?」
「将来やりたいことは?」
「なんで前の会社を辞めたのか?」
「座右の銘は?」
何処の会社に言っても質問されるのは大体同じ内容の事だ。
「生活の為です」
「給与が他社より良いからです」
「休みが多いからです」
正直に言えば確実に面接は落とされる、というか書類も通過しないだろう。
僕は前の会社で新卒の面接官を担当していた。
上記のような事を言う学生は間違いなく書類で落としていた。
だから面接で本音で話せる人というのは、よほど特出したスキルの人だろうと思った。
世の中には面接の本というのもある。
ある程度は「学芸会」的な意味合いもあるのだろう。
それをどれだけ上手く演じる事が出来るか?出来ないか??
どれだけ、面接の時に演者になれるのかが勝負だと思う。
改めて3ヶ月ぶりに無職に戻り、自宅のデスクで色々と考えていた。
本気で面接を受ける事が面倒クサイと思い始めていたのだ。
今の会社に入る前、面接試験で落とされた会社の一つ。
その会社では面接中に面接官に、クスクス笑われたりあくびをされたりもした。

【友人が気分転換にと連れて行ってくれた長野県の乙女滝】
面接官も同じ人間だ。
大きい会社であれば、何十人も面接を担当するだろうし、担当者の性格も好みもある。
面接の担当者もあたりハズレがあるのが残念だが事実だ。
そんな経験を重ねていたら、ある日「就職活動」というものが滑稽な物に思えて来た。
決められた質問、決められた回答…。
その頃には自分がやりたいことも良くわからなくなっていた。
やりたいことは仕事を通して見つかる物、見つけるものだと思う。
0から見つかる人は少数だろう。
だから子供の頃から一貫して「これがやりたい!」と思う人を本当に尊敬する。
そんな心中の中で半ば、腐りかけていたが会社を辞めた直後に失業保険の支給が始まった。
僕が就職していた3ヶ月間も失業保険の待機期間の3ヶ月は進行して計算されていたのだ。
2社目の会社に勤めていた3ヶ月、そして失業保険の受給3ヶ月。
最初の会社を退職してから6ヶ月、ありがたい事に無収入の期間はほとんど無かった。
失業保険を受給しながら、3社目の再就職を検索する日々が続いた。
しかし、ここ最近の経験から自分自身、就職活動に臆病になっていた。
「またブラック企業に入ってしまったらどうしよう…。」
「もう難しい面接がある会社への就職自体辞めて別の業界へ行こうか」
20代も半ばを過ぎた頃、真剣に考えていた。
もう転職はしたくない、また一から仕事を覚えるのは大変だ。
答えの出ない堂々巡りの日々が続いていた時。
僕は古い友人に会いに行ったり、普段会わない人に会うことを始めて見た。
自分の凝り固まった思考をほぐす事が目的だった。
なるべく遠方の友人で、普段会わない友人に会おう。
そう思い立った僕は普段会わない友人に会うために遠方に出かけて行った。

また次回の記事もよろしく!!