
【シドニー マルディグラ・パレードの様子】
今回の写真はシドニーで毎年2月から3月に開催されるお祭り。
マルディグラ・パレードの写真と合わせての記事となっております。

筆者のRonin (Ronin@ No more work)です!
【前回の記事】はこちらから。

ベッドバグまみれのシェアハウスのリビングで寝泊まりする毎日。
通称“バグハウス”を2週間後に出る事に決め、先の予定を考える毎日を送っていた。
家を出る事は決めたが、その後どうするかは決めかねていたのだ…。
滞在は現在で4ヶ月目。
「帰国するか…。」
その考えも頭をよぎったが、まだそれは時期尚早とも思っていた。
オーストラリアにやってきた叶えられた目標は「ローカルの仕事をする事」の一つのみ。
せっかく正社員の時間に不自由な生活から開放されたチャンスが巡ってきた今。
帰国して、再び就活をして職を探す事は想像出来なかった。
何しろ、この時点では自分の中で“やりたい事”が何もないのだから。
この状態で帰国しても何も残らない。
何も感じない惰性で生きる日々を過ごす事は目に見えていた。
それに、以前のように、毎日求人サイトを見ながら履歴書を送り書類選考落選。
面接に進めば、学芸会のように決まったセリフを無意識に発する面接。
そして、数日後には面接落選してお祈りメールを見る日々にも飽き飽きしていた。
それに慌てて就職して、以前のようなブラック企業に就職でもする事にもなりかねない。

【LGBTにも寛容なオーストラリア】
まだあの就活の記憶が鮮明な今。
日本にすぐに帰りたいという思いは一瞬よぎってすぐに消え去った。
ブラック企業に就職してしまった時の記事はこちら。


オーストラリアに来て良かった事、変わったことがある。
それは、日本で生活していた今までの自分を俯瞰的に見ることが出来るようになった事。
特に日本での「仕事や世間の自分を見る目」については深く考えられた。
「絶対に就職しないと!生きて行けない!!」
僕は最近までずっとそう考えていた。
会社を辞める=死。
という洗脳をずっとされていたのだ。
実際はそんな事なんて無かったのに…。
“眼の前に選択肢が無くなる”のは本当に恐ろしい事だと改めて思った。
右にも左にも行けない道、ならば直線しか無い。
その道がどんなに困難でも…。
それしか考えられなくなる事は何度もいうが恐ろしい思考だ。
特に僕の場合は就職活動がそれにあたる。
正社員以外はだめ、バイトはだめ、派遣はだめ。
など…。
かなり偏った固定観念を僕は当時持っていた。
それが一度、その考えを離れてみれば、決してそんな事は無かったのだ。
オーストラリアではバイトだけで楽しく生活している人もいる。
現地で会う日本人でも、「正社員神話」を崇拝している人はかなり少数だった。
ようは「生きて行ければいい」ということを知った。
人に迷惑をかけずに生きて、自分の中で「足る幸せ」を感じれればそれでいいのだ。
マインドが代わった僕は今までの焦りはなくなっていた。
僕は色々な角度から物を考えられるようになっている事に気づいた。
だからこそ気にする事もあった。
会社の看板があった自分、それはただ一人の無職だ。
すると自分自身をブランディング、スキルを付けていく事が重要だと。
英語の習得も、現段階ではまだまだ実務レベルではない。
英語を話せれば、最悪日本以外の何処の国でも生きて行くことが出来るのだ。
日本のように読み書きが出来なくても良い。
意思疎通を世界の何処の人とでも取れる事が重要なんだ。

【良きかな(^^)】
しかし…。
英語習得を目標としていたが、最近は自身の周りを日本語環境にしてしまっている。
オーストラリアの今の自分は、全てが中途半端なままの状態だ。
日本に帰るにも帰れない…。
僕は毎日考えた。
・・・・・・・・・・・・・・
ジャパレスで天ぷらを揚げながら…。
レストランでウエイターをしながら…。
そこで、僕はオーストラリアの一番のメインイベント。
「オーストラリア一周*以下ラウンド」を実践する事にした。
「オーストラリアで何をしてきたの?」
「えっ?語学学校行っただけで帰国してきたの?」
日本で周囲からそのように言われるのも嫌だと思った。
僕はまだまだ、その当時は外国に行けば“箔がつく”だろう。
などと思っていた節がある。
なにか実績を残さなければならない…。
シドニーに来て、日本から持ってきた貯金も大分減っていた…。
おそらくシドニーでの3ヶ月の滞在で30万円ぐらいは減った計算だ。
ジャパレス&ローカルの仕事で幾らかは取り戻し増減を経て現在の残高は50万ぐらい。
「この金があればオーストラリアをラウンドして帰国まではイケる…」
なるべくクレジットカードと併用しながら、残高不足に陥らないように注意。
上手くやりくりしながらラウンド計画を実行に移して言った。
そうと決まれば、僕はすぐに動きだした。
オーストラリアをラウンドするには大まかな計画を立てる。
しかし、シドニーで僕の友人・知人を見渡してもラウンド経験者は居なかった。
情報を収集するにはブログや・掲示板を使って情報を収集する他手段が無かった。
そこで僕は、ネット掲示板を使ってラウンド仲間を探すことにした。
シェアハウスを探す際にも使った以下のサイトで多くの書き込みがある。
*今ならばFacebookなどで簡単に見つかるかも知れないが当時はまだ掲示板が主流。
そこで、ある投稿を見つけた。
「日本人2人です。3週間程度のラウンドをメルボルン〜左回りで一周を計画中」
「レンタカーをシェア、毎日200Km〜300Km程度を目安に街から街へ移動して行く」
という投稿だった。
他にも色々と掲示板に「ラウンド仲間募集」の投稿があったが、僕は自分にあったこの条件の投稿にメールで連絡をして見ることにした。ラウンドのメンバーが日本人だと言うことも決めてになった。
連絡をすると、すぐに投稿主から返信があり、具体的な出発日や行程などを簡単にやりとりし2週間後にメルボルンで落ち合う事になった。
内訳は男女1名ずつ。
彼らはメルボルンでワーホリをしている仲間だと言うことだった。
年齢は当時、僕が一番年下で他の二人は僕よりもいくつか年上だった。
ラウンドや見知らぬ人と行動する際に注意すること。
何日も同じ行動を共にする仲間を選ぶ場合に大事なのは「趣味嗜好」や「感覚」「旅のスタイル」「経験則」などが近いメンバーを選ぶ事が鉄則!!
気の合わない人間同士が、同じ車内で何日も行動を共にするというのは大変…。
それは容易に想像出来るだろう。シェアハウスならば、顔を合わせない時間も作ることが出来るが旅行などであれば四六時中顔を合わせる事になる。
メンバーは絶対に自分と気の合いそうな人を選ぼう。それがお互いに取って良いことなのは間違いない。あと、カップル旅に1人が加わるのもオススメしない。
そして、日程を合わせて、飛行機を予約。
シドニーからメルボルンまでの距離は700Km程度。
所要時間は飛行機で大体1時間30分ぐらい。
到着した日のホテルも予約し準備は万端にして出発の日を待った。
出発の日まで、「一体どんな人達なのだろう?」と不安と期待が交差する日々が続いた。
不安や期待はあったが、何より、先の予定が決まった僕は急に元気になった。
目標が無かったオーストラリアでの生活が一転し、大きな目標が出来たからだ。
そして出発までの間にラウンド用の準備を始めた。
終わりの期限が決まった仕事に精を出す毎日を過ごしていった
お世話になったジャパレスのスタッフからは寄せ書きメッセージを貰った。
そしてローカルの職場のスタッフからは「Good luck!!」と言って貰えた。

【徒歩、バイク、警察、消防など色々なグループがパレードを彩る】
シドニーに初めて到着した時。
英語も話せない僕に優しく接してくれたシェアハウスの仲間たち。
思い通りに行かない事ばかりだったが、思い出いっぱいのシドニーの街。
いざ、この場を離れるとなると、辛かった思い出も懐かしくなって来た…。
4ヶ月だけの滞在。
新しい毎日、新しい体験。
連続の日々は日本での生活とは比較にならないぐらい濃厚だった。
その日々にピリオドを打つ瞬間が間近にやってきていた。
新しいステージに進むにはワクワクとメソメソが一緒にやってくる。
こういう思いをしたのは20代になってから無かった。
そして、複雑な気持ちが交差しながら2週間が経過し出発の日がやってきた。
サーフボードは“バグハウス”の他のメンバーに引き取って貰った。
再び、僕はシドニーにやって来た頃と同じスタイルに戻った。
小さなスーツケース&リュックサックのスタイル。
3人で旅をするのだから荷物は限られた量で。
なるべく少なくしなくては行けない。
「ついに新しいステージへの出発だ…」
再び、シドニーにやって来た時の“ココロオドル”気持ちになった自分。
失っていた輝きが再び僕の心に戻ってきた感触があった。
そして、思い出いっぱいのシドニーでの生活を終え、メルボルンへ向かった。

また次回の記事もよろしく!!