【サイト作者】

 

 

サイトを作っている人

 

こんにちは。

 

このサイトを書いているRoninです。

 

東京で生まれて育って、30代半ばを迎えました。

毎日、健康に明るく楽しくやってます♫

 

このページではこのサイトの筆者で運営者の僕自身がどんな人間なのか?

それを訪れてくれる方に少しでも知って貰いたいと思っています。

 

 

では長々と書いて自己語りをしてしまいましたが!

 

 

少しでも「聞いてやるか!」と思われる方は下へスクロールしてくださいね!

 

僕という人間を知ってやって貰えれば幸いです。

 

 

では…

僕という人間について。

 

 

飽きっぽい性格なので好きな事しか長続きしない性格。

そんな僕の生きている理由&目標はズバリ「旅」と「経験」です。

 

 

好きな事が「旅」というのを自分の中で発見したのが27歳のとき。

ワーキングホリデービザを取得してオーストラリアへ旅立った時からでした。

 

 

 

 

こんな事なら相談に乗れそう!

1.会社員→建設職人への転職ってどう? 系の 仕事のこと。

2.海外とかノープランで行って生活出来る? 系の 海外のこと。

3.ワーホリってどんな事して過ごしてたの? 系の ワーホリのこと。

 

 

 

 

 

(別府駅前のピカピカのおじさん、「旅人をねんごろにせよ」という名言いりの銅像)

 

 

「旅」を「生活」にする。

 

 

 

その思いを心に密かに秘め、日本での生活はお金を稼ぐ手段。

本当に自分を開放出来るのは海外を「旅」して自分の好きな「生活」をしているとき。

 

 

僕が「旅」の他に飽きずに続けているのが「写真」。

「写真」を撮る事が昔から好きで「旅」+「写真」という好きな事を足し算した結果。

 

 

このサイトを運営する事になりました。

 

 

旅のスタイルは「期限を決めずに好きな場所に好きなだけいる」

旅のもちものは「航空券」と「スマホ」と「カメラ」と「パソコン」

 

 

あとは現地調達。

 

そんな感じでふらっとゆるく「死ぬまで生きていたい」と思っています。

自分がどんな人間なのかを少し自己語りしたいと思います。

 

 

興味のある方は読んでやってください。

 

 

高校中退から日銭稼ぎのフリーター生活

Image by Yair Ventura Filho from Pixabay

 

東京都内の私立高校を2年の時に中退。

その後20歳になるまでは、「お金」「楽そう」を最優先に仕事を選ぶ生活をしていました。

 

 

16歳で学校を辞めて社会人となった僕は色々なアルバイトを経験しました。

 

ガソスタ、飲食業、水商売、引っ越し屋、工事現場の雑工事、消防検査員、ADSLのテレアポ、道路交通量調査員、出会い系サイトなどなど…。

 

 

今でも話のネタには困らないぐらい、色々なバイトを経験しました。

そんなフリーター街道まっしぐらな僕にある日、人生の転機が訪れます。

 

それは僕が高校を中退して数ヶ月立った頃でした。

 

当時、日給9,000円で建設現場で土工事のバイトをしていました。

怒鳴られ、蹴られ、粉塵の舞う中、いつ体を壊すかわからないような仕事をする毎日。

 

若さだけを武器にハードな仕事とはわかっていながらも、目の前の小銭を

追いかけるだけの生産性のない日々を過ごす生活を数ヶ月に渡って続けていた時でした。

 

 

 

現場仕事のスタイルで朝の5時に親方の家に集合。

そこから会社の車に相乗りして現場へ向かうという流れでした。

 

職場は高校を中退した僕のような10代の若者もいれば、60代以上の人も働いていました。

仕事を指示する親方以外は皆、仕事の内容は同じ肉体労働です。

 

何十キロもあるセメントを一輪車で運んだり…。

コンクリートの粉塵をスコップで掃除して担いだり…。

 

聞いているだけでも辛い仕事ですが、皆文句を言いながらも手を動かしていました。

 

僕と同年代の若者チームは皆で辛いながらもワイワイ楽しくやっていたのですが、

年配の人たちは僕らとは違います。

 

同じ労働をするにしても体力がついていかず、荷物を落としてしまったり、

怪我をしてしまったり…。

 

そんな年配の人を何人も見てきました。

 

そして、ある日のお昼ごはんを食べている時にその中でも一番仕事が出来ない」

と言われていたオジサンと話しをする機会がありました。

 

そのオジサンはアルコール中毒なのか終始、手が震えていました。

オジサンは震える手で冷えた弁当を食べながら、暗い目で僕にこう言ったのです。

 

 

「俺は学が無いから、今も苦労しているんだ。」

「悪いことは言わないから今からでも勉強した方がいい。」

「この仕事をやっていても酒ぐらいしか楽しみがない」

 

 

オジサンはいつも仕事が終わり、車から降りた瞬間にポケットから出したワンカップの

日本酒を飲むのが毎日の楽しみのようでした。

 

 

そのオジサンも数日後にはある日、突然居なくなってしまいました。

 

その日から僕は、仕事中にオジサンから言われた言葉が頭の中でループするようになり、

もう一度、「なにか」を学んでみようと考え直しました。

 

同年代の仲間達は毎日、稼いだお金を「飲む打つ買う」で相変わらず消費していました。

しかし、僕はその日から一切彼らと付き合う事も辞め、その仕事も辞めました。

 

 

高校卒業の資格を目指し一念発起

 

肉体労働の仕事を辞め、友人関係もガラッと変わりました。

辞めた後に僕の周りに居たのは高校在学中の友人や、大学進学を目指す友人たち。

 

一時は疎遠になっていた仲間達とまた関わるようになりました。

そして僕は色々なアルバイトをしながら、「大検」と呼ばれる資格取得に挑戦しました。

*高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)

 

 

18歳の時に初受験。

その後、2回目の試験で無事に高校卒業資格を取得する事が出来ました。

 

 

20歳で短期大学に入学

 

16歳の時に高校を中退してからというもの。

お金を稼ぐ楽しさを知っていた僕は、少額ですが貯金をしていました。

 

もし当時の友人達と一緒に「飲む打つ買う」の人生を送り散財してしまっていたら

この大学入学費用を払う事は出来なかったかも知れません。

 

私立の高校を受験させて貰い、授業料を両親に支払って貰っていた身の自分としては

大学の費用を両親に負担して貰うという考えは全くありませんでした。

 

この時に2年間の短期大学へ支払った学費の総額は200万円ぐらいだったと思います。

この学費を在学中にアルバイトをしながら払い無事に短大を卒業する事が出来ました。

 

 

自分で大学の学費を支払った時。

 

私立の高校に入学させて貰い、自分の勝手で中退してしまったこと。

金銭面で両親にどれだけの負担を掛けていたのかとすごく反省した時期でもありました。

 

 

新卒でサラリーマンになる

2007年。

無事に都内の中規模の会社に就職も決まりサラリーマン人生がスタートしました。

 

16歳で高校を中退し、アルバイト生活で自活も自立も出来なかった自分でしたが、なんとか就職という形で「日本の普通の」生活に身を起き両親を安心させる事も出来ました。

 

父親も祖父もサラリーマン育ち。

そんな家庭で育った僕も一生同じ会社で60歳の定年まで過ごすのだろうと思っていました。

 

就職から4年後の2011年。

あの東北大震災の年に僕は会社に退職届けを出しサラリーマン人生を降りる事にしたのです。

 

 

「まだ見てないものがあるはずだ。このまま変化の無い生活なんて耐えられない!」

 

 

 

東北大震災を目にした時、自問自答をする自分の姿がありました。

そして、行き先も何も決めないまま「とりあえず海外に出て見よう」と思いました。

 

 

そして調べた結果、年齢的にも条件的にもあったのがオーストラリアでした。

それまでワーキングホリデーという言葉なんてあまり知らなかった僕。

 

 

1年以上、働きながら海外で生活することが出来る。

その生活に憧れて会社を退職した僕は出発に向けて着々と準備を進めて行きました。

 

 

 

心境の変化と気付きの連続の海外生活編

 

そして順調に準備を進め無事にオーストラリアへ出発。

 

ビザの有効期限は1年間。

(特別な労働をすればもう1年間延長され合計2年間滞在が可能です。)

 

サラリーマン時代に貯蓄したお金を持ってスーツケース一つで日本を発ちました。

当時の僕は、まだバックパックも持ってない、英語も話せない、情報弱者のザコでした。

 

 

「まずは英語を話せるようになりたい」

 

 

その思いが強く日本を出発する前に、現地で英会話学校に入り3ヶ月間勉強をしようという計画でオーストラリア最大の都市であるシドニーを目的地にしました。

 

 

現地の学校への入学や、学校へ通うために生活する住居であるシェアハウスなども、現地の日本人エージェントを通じて手配をしました。

 

 

その後、現地での学校生活、日本食レストランでのバイト、観光業の仕事、オーストラリアでのファームジョブなどを経験し一時帰国を期間を含めて2年近くをオーストラリアで過ごしました。

 

 

お金、人間関係、人種差別、いじめ、競争。

 

 

オーストラリアでの生活の中で生活している中で思ったことは、ワーキングホリデーとは決して甘い簡単な物ではないこと、そして情報やコネを持っている事=人とのつながりがチカラ。

だということを学びました。

 

このオーストラリアでの生活はワーキングホリデーを体験した人であれば通ずるところがあると思います。辛いこと、楽しいこと。本当に色々とあります。

 

ひとつ言えることは、確実に人間として強くなる事が出来る!

 

ということです。

 

 

 

オーストラリアから帰った僕のその後

 

オーストラリアで沢山の苦楽の経験をした僕は再び旅を続けることになります。

 

 

なぜそうなったのか?

それはとオーストラリアで出会った沢山の旅人達との出会いがあったから。

 

 

「インド・パキスタンにいったことある?人生観かわるよ!」

「ネパールに行ってヒマラヤ山脈を見にいってごらんよ!!」

 

「タイのご飯は美味しいよ!」

「ラオスの薬草サウナは最高だよ。」

「カンボジアにハッピーピザっていうのがあるらしいよ!?」

 

「フランスに遊びに来たらいつでも俺に連絡してくれよな!」

「ドイツに来たら一緒に美味しいビールを飲みにいこうぜ!」

 

「今度は何処の国でお前に会えるか楽しみだな!!」

 

 

気づけば国籍は二の次で知り合いがどんどんと増えていきました。

 

2年近く滞在した僕は、世界に友達が出来る程に成長。

気になっていた英語も、1年ほどで全く会話に問題ない程に成長していました。

 

悪い奴も良い奴もいっぱいいた。

その渦の中で揉まれて自分の周りに残ったハートフルな友人たち。

 

国籍なんて関係なく世界の何処へでも彼らを訪ねて旅をする事が出来るようになった。

それからは、訪れた旅先で新しい旅人に出会い、また新しい場所へ出かける。

 

その繰り返しが1年ほど続きました。

 

 

その頃、ちょくちょく「日本に帰国しては旅費を稼ぐ」という生活をしていました。

その時の仕事が今でも日本に帰国している時に続けている「大工」という仕事です。

 

 

30歳で、またもやサラリーマンに逆戻り!

Image by FranckinJapan from Pixabay

 

人生とは不思議なもの。

人生とはパルプンテの連続です。

 

27歳でワーキングホリデーに出発し世間のレールからドロップアウト。

確実に会社員人生に戻って来ることはないと思っていた30歳の頃。

 

 

「Can You speak English?」

「Did you Study In Australia yet?」

 

 

最初のサラリーマン時代に知り合ったある外資系の会社の社長さん。

この社長さんと、日本に帰国中にたまたま会う機会が訪れたのです。

 

 

そして、この会社の社長から驚きの発言が…。

 

 

「自分の会社で働いてみませんか?」

「あなたは沢山の人生経験をしている。ぜひ一緒に仕事をしよう。」

 

 

今まで好き放題にやってきた自分。

過去の就職活動では面接官に質問され、タジタジしていた自分がまさかのスカウト。

 

しかも昔から興味のあった商社という仕事。

英語を話せるというスキルを持った僕に突然と舞い込んで来たオファー。

 

 

本当人生何がどうなるのかはわかりません。

 

 

そして数日間。

僕は自分の中で考え、この提案を受け入れることにしました。

 

30代になり大学を卒業したばかりの僕とは全く違うレベルアップした自分。

果たしてまた会社員として働くことができるのか多少の不安はありました。

 

 

それでも、チャレンジしてみることにしました。

 

 

それから4年間、この社長の元で働き、僕が担当していたプロジェクトが終了した事をきっかけに会社を退職することにしました。

 

 

今も世界を飛び回っています!

Image by FelixMittermeier from Pixabay

 

 

現在も記事を執筆中ですが、2018年はインドを出発しユーラシア大陸を10ヵ月かけて横断。

僕が旅に憧れたきっかけでもあった深夜特急のような旅をすることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の人生の中にあった、小さな目標が1つ達成されました。

 

このプロフィールを書き直している2020年は東京オリンピックの年。

今は2017年に僕が立てた目標に向かって動いています。

 

 

夏にヨーロッパに渡り、大西洋を回りアメリカ大陸へ。

それから4ヶ月をかけて、12月に南米を目指す、南北アメリカ横断旅計画。

 

 

(2020年のコロナ騒動で、計画は頓挫しました(#・∀・))

 

 

その後の事は全く計画していません。

帰国したら、30年以上生活してきた東京を1度離れ、違う土地で生活したいと思っています。

 

それが関東なのか、関西なのか。

はたまた、日本なのか海外なのか…。

 

それは今の自分でも分かりませんが、場所に縛られず生きれるように!

このブログを通して何処かの誰かに少しでも有益な情報を届けられるように!!

 

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